柳家銀次郎 所感
↑ランチ限定セット。ラーメンと半チャーハンがついている
初めて柳家銀次郎に行きました。
右も左もわからなかったので(ラーメンスープの分類も知らなかった)、細麺か太麺かを尋ねてきた店員さんにおすすめの麺の太さを聞いたら
「(困惑)……お客様のお好みで選んでいただく形になっております」
とのこと。困らせてしまった……。
店員さんが着物姿だったのですが、後で調べたら店主の実家が呉服屋らしい。へえ。
写真は1000円のランチ限定メニュー。limitedと炒飯に人間はよわい。
炒飯について
待ってる間、注がれた冷たい飲み物が何かわからなくて当てクイズをしていた。蕎麦茶かと思ったけどその場は暫定でカモミールティーということに。今考えたらすっきりした風味的にジャスミンティーじゃないですか?
めちゃくちゃなにかを炙る音しばし、10分くらいでラーメンと炒飯が襲来。思ったより量は多い。
炒飯との初対面の印象は色(≒味)が濃そう、というもの。麺、スープが重そうなので過剰かな、と思いつつも、まずは蓮華で一掬いして香りを愉しむ。
↑写真だとわかりにくいが、中華料理店で一般的とされる炒飯より3〜4割程度彩度が黒に偏向している.
……なるほど。
炒飯慣用句で「炒飯一掬い、即ち人救い」というものがある。真に洗練された炒飯はその香り高さ、美味ゆえに、一口で失った元気を取り戻させる、という意味であるが、香り高さは彼我匹敵しがたしといったところ。
ここでは、おそらくラーメンにも用いられている魚介粉末がふんだんに使用されている。チャーシューを炙るのに使用されているバーナーでもって、魚介粉末を振りかけた表面をひと焦げさせ香りを立たせる。この手法で立った香りは持ちが悪いため、迅速に味わうことが要求されることから、ラーメンができるギリギリに作られていたのだろう。
一口でわかる情報はこんなもの。個人的にはわざわざネギを炙っているのも好感が持てた。ただ炒めるだけじゃ、あのようにはならない。
「炒飯はラーメンのあとで」という書籍が流行りましたね。流行っていない? 流行らせましょう。
ラーメンは鶏ベースに魚介粉末のスープで美味しい。きちんともちもちした太麺が絡んで良い感じでしたが、あいにく語れるだけの何かを持ち合わせていないのでスキップ。これについてはラーメンに明るい他の人物にあたってください。
閑話休題。
作用反作用の法則に準じ、炒飯を起点とした食事は必ず炒飯に回帰する。
ラーメンを食べてすぐ、半分遺された炒飯を口にした。だいぶ濃い!
いやこれは重いぞ……と思いながら掘り進める姿はゴールドラッシュの探窟家。時折チャーシューという名の金を掘り当てながら、苦難の歩みを進めていく。
のちに、この時の様子をこうP氏は振り返る。
「ここで気づくべきだった……。有り得ない、有り得ないのだ……苦しみながら炒飯を食べるということは、本質的に"有り得ない"。炒飯として供される以上は、目の前の炒飯を快適に楽しんでもらうという至上命題が一の義務として店の眼前に展開する、ということに他ならないのだから」
それは、あまりに辛い道程。
魚介スープに次ぐ魚介粉末の炒飯は、美味しいが歩めぬ沼の如し。事ここに至りて、一度下を向いて考える。しかし、この経験は初めてではない、と。
これが転機となった。
見上げると、燦然たる(謎の)大清涼飲料水!
筆者の驚くまいことか!アッと云ふ儘に大感動致しまして、直ぐ飲み干してしまいます。
これは店側の大層粋な計らいと見えまして、這入って来た時分になぜ気が付かなんだと、筆者は自らを責苛む様にて御座いました。
推定ジャスミンティー、これが濃さのしがらみを絶妙にほぐしていく。こんなすっきり体験ある?
満足するまで飲んでから炒飯を食べると、また新鮮な気持ちに。なるほどね。やっと意味がわかったよ。
隣で辛そうな赤色スープと格闘している人の様子を見ながら、こちらはペースを取り戻し若干の余裕を持って
全編通して美味しかったです。でもやっぱり、本作はラーメンの濃さを考慮しない一品物として完成されていたので、炒飯だけのメニューがあったらいいんじゃないかな。と思いました。